[暇と退屈の倫理学(新潮文庫)](https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B09MT5GQC4/room510-22/)
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(著) [[國分功一郎]]
B09MT5GQC4
新潮社 (2021/12/23)
# 関連・思い出した本
[[『メタ倫理学入門』]]
[[『存在と時間』]](ハイデガーの話が出てくる)
[[『幸福とは何か (ちくまプリマー新書)』]]
# 読書メモ
2022-10-17
読み進めるたびにおもしろい。これをとっとと読むべきか?
→半年かけて5月に読了
スポーツバーで見かけた、サッカーの試合見ながらうるさい客。楽しんでいるように見えない。周囲に自分は熱中している、と訴えかけているように見える。
留学相談で「美術に関心がある」といつまでも相談しようとする女子学生。ほとんどなにも喋らないし、美術の誰が好き、すらないのに帰らない。相手も困っている。
## 序章 「好きなこと」とは何か?
[[趣味とは物事のもっているおもしろみを意味していた]]
[[趣味はカタログ化されテレビから勧められるようになってしまった]]
[[高度消費社会では供給が需要に先行する]]
[[退屈への恐れを利用し労働者の暇は搾取されるようになった]]
暇の中でいかに生きるべきか?退屈とどう向き合うべきか、という問い。これを問うのがこの本。
[[自由と暇を得た時に大切なのはその生活をどうやって飾るかだ]]
[[近代が提出できた原理は「生命ほど尊いものはない」以外にない]]
[[正論では人は奮い立たず人は過激派や狂信者たちを羨ましく思うようになる]]
[[大義のために死ぬのを羨ましいと思うのは暇と退屈に悩まされている人間だけ]]
## 1章 暇と退屈の原理論
ウサギ狩りに行く人は本当はなにが欲しいのか?
[[人間の不幸は部屋にじっとしていられないから起こる]]
[[ウサギ狩りに行く人はウサギが欲しいわけではない]]
[[欲望の対象と欲望の原因はわけて考える必要がある]]
[[気晴らしで熱中するためには負の要素が必要になる]]
[[退屈に対する気晴らしはファシズムにもつながるような心の動き]]
[[日常的な不幸には原因がわからないという独特の堪え難さがある]]
[[退屈とは、事件が起こる気持ちが挫かれたこと。]]
[[幸福な人は楽しみや快楽を「求めることができる」人]]
[[ラッセル:熱意を持って取り組めれば幸福になれる]]
[[ラッセルの幸福論では現代の問題は解決できない]]
🐷この展開が、ずっと面白いな。絶えず楽しく読める。
[[退屈の源泉はロマン主義にある]]
## 2章 暇と退屈の系譜学
人間はいつから退屈しているのか?
[[歴史は時間を遡り系譜学は論理を遡る]]
[[食料生産は定住生活の結果であって原因ではない]]
[[ごみ捨てもトイレも定住によって獲得したもので人間生来のものではない]]
[[定住を維持するために退屈を回避することが必要になった]]
## 3章 暇と退屈の経済史
なぜ"ひまじん”が尊敬されてきたのか
[[有閑階級は暇であることがステータスだった]]
[[資本主義の勃興でステータスシンボルは「暇」から「消費」に移り変わる]]
[[ヴェブレンは労働を尊いものにしようとするが失敗しアドルノに批判される]]
[[ブルジョワジーは「品位溢れる閑暇」を知らないので暇を持て余す]]
[[大衆は暇を生きる術を知らずに暇を手に入れてしまった]]
労働は尊いものだ
それを批判するラファルグ(マルクスの娘と結婚した社会主義者)
労働賛美批判
ここで彼は、暇と怠惰と資本主義を根本的に間違えている
余暇は資本の外にあると思っているが、そうではない
[[適度な休みを与えて最大成果を出させるフォーディズム]]
[[フォーディズムでは休みには「作業効率を上げなければならない」]]
[[フォーディズムでは「休暇」は労働の一部として組み込まれてしまった]]
[[与えられた余暇を消費するためにレジャー産業が登場する]]
[[仕事に生き甲斐を求める生き方は仕事が充実しなければならないという強迫観念を生む]]
[[フォーディズムは右肩上がりの経済でしか成立しない]]
[[ポスト・フォーディズムの1つの対案が〈暇と退屈の倫理学〉]]
## 4章 暇と退屈の疎外論
贅沢とは何か?
[[豊かに生きるためには贅沢は必要なもの]]
[[消費は観念や意味を消費するので限界がない]]
[[現代では労働や余暇も消費される]]
[[消費社会の倫理に従ったまま消費社会を拒否している『ファイトクラブ』のタイラー]]
[[疎外とは人間が本来の姿を喪失した非人間的状態]]
[[疎外はすぐに本来性につながり本質主義になってしまう]]
疎外の再考こそが暇と退屈の倫理学で考えること
[[ルソー:人間に疎外をもたらしたのは文明社会]]
[[ホッブズの自然状態は「人間は平等」に基づいている]]
[[ホッブズが考える自然状態は「社会状態」を表している]]
[[ルソーの自然状態では隷従や支配は成り立たない]]
[[他人より自分を上に置こうとする利己愛と自分を守ろうとする自己愛]]
[[社会状態での掠奪は利己愛に基づいたもの]]
[[ルソーの自然状態は形而上の存在で人間の本来の姿ではない]]
[[ヘーゲルが考える疎外は固有のものを投げ捨て理想を実現するプロセス]]
[[疎外を論じる人はどうしても本来性に回帰したいと思ってしまう]]
[[マルクスが考える自由の王国は労働時間が減ることからの暇において考えられるもの]]
つまり、本来性を否定しつつ疎外を論じる必要があるのだ。
## 5章 暇と退屈の哲学
そもそも退屈とは何か?
ハイデガー『形而上学の根本諸概念』を元にして考える。
退屈は、誰もが知っていると同時に誰もよく知らない現象である。
退屈を2つの形式に分ける
[[退屈の第一形式:なにかによって退屈させられること]]
[[退屈の第二形式:なにかに際して退屈すること]]
[[私たちが生きるというのは、ほとんどが退屈の第二形式といえるのでは?]]
[[退屈の第三形式:なんとなく退屈だ]]
[[退屈は第一形式から順に深くなっていく]]
ハイデガーは、
退屈から自由になるには(可能性)が重要で、それは決断によって実現する、と考えた。
(果たしてこれは正しいのか、と著者は考える)
## 6章 暇と退屈の人間学
トカゲの世界をのぞくことは可能か?
[[ユクスキュルの「環世界」]]
[[マダニは「3つのシグナル」だけで作られた世界を生きている]]
[[時間には最小の器が存在する]]
ダニが絶食して待っているのは、寝て待っているようなイメージに近いのかもしれない。
結局、生きた主体なしに時間はあり得ない
ミツバチが蜜を吸っているときに腹を割くと、いつまでも蜜を吸い続ける
これは、ミツバチが「とりさわられている」状態だといえる。
[[人間は環世界の移動能力が高い]]
そして「自由」の本質は環世界の移動であり、それが同時に退屈の原因にもなるのではないだろうか?
## 7章 暇と退屈の倫理学
決断することは人間の証しか?
[[ハイデガー:退屈を逃れるためには「決断」をせよ]]
[[キルケゴール:決断は狂気である]]
[[決断で退屈の第三形式から逃れることは結局「退屈の奴隷」になっている]]
[[退屈の第二形式こそが人間そのものの形式]]
[[退屈から逃れるために第一形式や第三形式に逃れるのはテロリストと同じで危険]]
[[気晴らしとは人間として生きるつらさをやり過ごすための智慧]]
[[アレクサンドロ・コジューヴが考える「歴史の終わり」]]
[[「本来の人間」は退屈の第2形式にある]]
[[環世界は単純化で成立し不法侵入ですぐ壊れる]]
[[フロイトの快原理]]
[[人は習慣を作ろうとし習慣によって退屈する]]
[[第三形式から逃れると考えを強いる対象を受け取れなくなる]]
# 結論
結論1
[[「こうしなければならない」というものなどないが「あなたはあなたのままでいい」という意味ではない]]
[[スピノザ:わかるとは自分なりの理解の仕方を見つけるということ]]
結論2
[[われわれは贅沢を取り戻す必要がある]]
[[ものを楽しむことは簡単ではない]]
[[消費社会は退屈の悪循環を激化させる]]
[[パンのみに生きるのではなくパンも味わって生きる]]
結論3
楽しむことを学びながらものを考える
〈動物になること〉
楽しむことは思考することにつながる。
[[退屈の第二形式:なにかに際して退屈すること]]の状態のままで動物になることが大事。
常に待ちかまえ、〈とりさらわれる〉ことを待っているといい。その場所を知り、楽しむ訓練から様々なことを学ぶ。
さらに先の世界は、自分ではなく他人にまで広げていく
どうすれば皆が暇になれるのか
暇の王国をつくるところまで考えは進めていける
## 付録:傷と運命
なぜ人は退屈するのか
本編では手付かずだったこの問題を問う
言うならばこれは「暇と退屈の存在論」である。
[[我々が予測モデルを作るというのはサリエンシーに慣れるということ]]
[[自己とは最も再現性の高い現象として経験され続けているなにかのこと]]
[[慢性疼痛とはいつまでも慣れることができないサリエンシー]]
[[すべての記憶は「傷」である]]
[[脳の三つのネットワーク]]
[[痛みが慢性化しているときはサリエンスネットワークに異常が起こっている]]
[[暇がつらいのは過去の傷跡ばかり参照してしまう状態になるから]]
[[サリエンシーは痛む記憶として残り覚醒で押さえつける]]
[[サリエンシーがない状態はDMNが起動して傷跡がつらい=退屈]]
[[サリエンシーへの慣れ方は個人差がある]]
[[退屈とは感情ではなく心的状況]]
[[人間の本性を論じる限り退屈の矛盾は解けない]]
[[哲学では「本性」ではなく「運命」を考える必要があるのかもしれない]]
[[他者を媒介にして予測モデルを形成できると考える当事者研究]]
[[運命と本性の区別をすれば多くの哲学的対立を解決できるかもしれない]]