[現代思想入門 (講談社現代新書)](https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B09V1134H7/room510-22/) ![[f698a36b19cfbe8569cd082b4a09508b_MD5.jpg|100]] (著) [[千葉雅也]] B09V1134H7 講談社 (2022/3/16) # 関連・思い出した本 [[『フランス現代思想史 構造主義からデリダ以後へ』]] # 読書メモ 哲学は自己啓発に使える、というのを見事にやってくれている。 現代思想入門は、哲学をきちんと自己啓発に使えるぞ、って「役に立つ」話をしているのが凄い。 また、最後の「現代思想の読み方」の部分も大変参考になる。 個人的に一番よかったのは3章、フーコーの話。 22:34 また読みたくなった。次の本を読み終えたら、読むかなあ。 ## はじめに [[現代思想を学ぶと複雑なことを単純化しないで考えられるようになる]] [[きちんとする方向に進む現代の世界は自分自身を傷つける刃になっていないだろうか?]] [[現代思想は秩序を強化する動きへ警戒心を持つ]] かつては、専門家も日常会話の中で「だいたいこういうもんだ」という前提知識を得て、その前提知識がある状態で本を読んでいた。 この本では、ここ30年くらいでの「そういうもんだ」というイメージを伝える。 [[現代思想は相対化する世界にいち早く注目した学問]] [[構造主義は世界にパターン(構造)があることを見いだした]] ## 1章 デリダ 概念の脱構築 [[デリダは、二項対立を考えたのではなく二項対立を脱構築するという思考法を示した]] [[初期デリダ(1960年代)の代表作]] [[デリダはAとBのどっちつかずのところを巧みに書いていこうとする]] [[現代思想とは差異の哲学である]] [[デリダの世界観は仮固定的と脱構築が繰り返されていくイメージ]] [[エクリチュールの多様な解釈や誤解を生み出すことは悪いことではない]] [[マイナスの要素に注目することが「転倒」]] [[脱構築の手続き方法]] [[脱構築とは本質主義批判]] [[二項対立は本物と偽物の対立が根っこにある考え方]] [[現前性とは?]] [[脱構築は他者の世界に心を開かせようとする]] [[人の決断や行動はどこかで「赦す」かしない]] ## 2章 ドゥルーズ 存在の脱構築 [[ドゥルーズは自分の殻を破って飛び出すことを励ました哲学者]] [[ドゥルーズやデリダが盛り上がった日本の80〜90年代]] [[ドゥルーズはインターネットの普及による管理社会の到来も予言していた]][[ドゥルーズの著作]] [[ドゥルーズのオススメ入門書]] [[同一性と差異では差異が先にくるというのがドゥルーズの世界]] [[アクチュアルで別々のものがバーチャルでは複雑に絡み合う]] [[世の中に永遠不変なものはなくすべては「準安定状態」]] [[あらゆる事物は異なる状態に「なる」途中である]] ### ドゥルーズ=ガタリ [[『アンチ・オイディプス』は自分自身は家族などという狭い同一性で考えるのはリアルではないと主張した]] [[自己啓発書は断言して行動を規定することで「効果がある気にさせる」]] [[本当の自分なんて物はないのでいろいろなことをやる]] [[家族の影響はなんだかんだ大きいので精神分析は無意味というわけではない]] [[リゾームはあちこちに広がりあちこちで途切れる]] [[深すぎる関わりは監視から支配へとつながっていく]] [[戦争機械は国家にとらわれず流動的に支配から逃れようとする]] [[インターネットはミニ監視国家に成り下がってしまった]] [[コミュニケーションは金銭に毒されてしまっている]] ## 3章 フーコー 社会の脱構築 [[フーコーは権力を分析し、権力の脱構築を行った人物]] [[権力には下から支える構造もあり悪を見つけるという考え方が間違い]] [[フーコーは常に統治のシステムの外を考えていた]] [[フーコーの主な著作・入門書]] 『狂気の歴史』は正常と異常の脱構築 [[多数派が「正常」で厄介なものが「異常」とされるのが社会]] [[正常と異常の二項対立は近代から強化されている]] [[二項対立の強化から主流派に合わせる生き方が前提の社会になった]] [[不利なカテゴリーは有利なカテゴリーが前提になって作られたもの]] [[主流派はクリーン化され狂気は「治療」されますます巧妙に統治は強まっている]] [[フーコーにおける権力の3つのあり方]] [[近代社会は規律訓練と生政治の両方の力が働いている]] タバコが吸える場所を減らすのは生政治。心の問題を薬で解決するのも生政治。 [[生政治とは?]] [[良かれという心がけが主流派の価値観を維持する行為になっていないか?]] 上級編「新たなる古代人」になること フーコーは「個人」というのも歴史で作られてきたもので、個人が個人であるということも歴史によって変わってきた、ということ。 [[不利なアイデンティティは近代化によって「作られた」]] [[排除によって成立したアイデンティティを再び「作り上げようとしている」ことへの注意が必要]] [[古代の不倫や同性愛は有限的なものだった]] [[アウグスティヌスが『性の歴史』を変えてしまった]] [[変に深く反省しすぎず健康には気を遣うが「別に飲みに行けばいいじゃん」という古代的なあり方]] ## 4章 現代思想の源流 ニーチェ、フロイト、マルクス ニーチェ、フロイト、マルクスの3人は、非理性的な、秩序の外部を取り扱った人物。現代思想は権威的な秩序を批判し、秩序からの逸脱をくりえいくとする学問なので、関わりが深い。 [[ニーチェは盲目的な意志をクリエイティブなものとして捉えた]] [[精神分析はあらゆることを芋づる式に引き出して徐々に変わっていく]] p126 精神分析と現代思想の繋がり 自分の中の無意識というのはいわば「他者」自分の中には大勢の他者がおり、それに踊らされるように意志的な行動を行っている。 [[哲学を学ぶときには歴史の観点が必要]] [[近代では探求を繰り返すほどに謎が深まっていく]] [[意識が高い人たちは自ら積極的に搾取されようとしている]] 同じ土俵の同じ基準の中で戦い、成功しなければならないという強迫観念から逃れるためには、 ## 5章 精神分析と現代思想 ラカン、ルジャンドル 現代思想は精神分析に胸を借りるような形で自分の思想を形成している p144 自由エネルギー原理とフロイトの繋がりも、論文にある →[[『意識はどこから生まれてくるのか』]] [[精神分析は「人間は過剰な動物だ」という定義を与える]] [[人間は欲動に可塑性があることが特長]] [[欲動とは本能とは異なる人間に流動する認知エネルギー]] [[倒錯とは?]] ラカン 人間が人間になること、つまり人間が主体化するというのは、人間が有限化されることである、と言える。 🐷子どもが各言語に最適化することを思い出す [[疎外とは人間が本来の姿を喪失した非人間的状態]] [[享楽とは?]] [[去勢とは?]] [[ラカンの哲学は欠如の哲学]] ↑ここまでが、ラカンの発達論 [[ラカンの3つ組の概念はカントの現代版]] ここから、わりと流し読みで6章へ ## 6章 現代思想の作り方 [[レヴィナスは「他者」で有名な哲学者]] ## 7章 ポスト・ポスト構造主義 21世紀は思弁的実在論がブームになる メイヤスー『有限性の後で』2006(英訳が2008) 思弁的実在論は、人間による意味付けとは関係なく、ただ端的にそれ自体として存在している事物の方へ向かう、という方向づけ。意味よりも、それ自体のあるものを問題にする。 メイヤスー 事物は、人間がどう意味付けるかに関係なく、ただ存在し、一義的になんであるかを言える。唯一の真理として「これはこうだ」と言える、と考える。 数学を持ち出してそういう話をする。 自然言語による意味付けの外側の客観性を、数学的なもので表現できるとする。 ただし、この世界のあり方には必然性はなく、偶然そうなっているだけ。ある日突然それは変化するかもしれない。 この極端さがあることで初めて、世界がただ単に事実としてそこにあるものになる。