ステップ2まで、とにかく重要な基本を徹底してきました。
正直、ここまでは「つまらない」と感じた方もたくさんいらっしゃるのではないかと思います。
しかし、ここからはとても難しく、挑戦的な内容に進んでいきます。
具体的に何をするのかというと、今度は食べたものの「観察結果だけを文章で書く」練習です。
ここでのポイントは「観察」ということばです。
観察結果だけを書く、というのを簡単に言うと「感想を書くな」という言い方になります。当然観察結果しか書けないとなると、美味しかった、と書くことはできなくなります。
しかし、観察結果だけを書くというのは、感想を書いてはいけない、というだけではないのです。
観察とは`そのものが どう△なる(いう状態である)か ありのままの姿を、注意して見ること。(明鏡国語辞典)`です。
「なにがあった」は観察だけれども、たとえば「どうやって作った」というのは「観察ではない」んです。
また、観察というのは実況中継でもありません。
「さあ、今から牛丼を口に運びます。。。柔らかいですね。この柔らかさは今までに味わったことがないものです。おっ、肉の脂をベニショウガがうまく口直しとして作用しています」
なんてのは観察ではないですよね。
つまり、観察結果だけを書くということは、そこにあなたの意見や感想を書けないというだけでなく「なにをしたか」すらも書くことができないのです。
先ほどの文章を観察的に表現するならば、たとえばこういう感じです。
> 牛丼の肉は歯で軽く噛むと切れた。ベニショウガは赤く細く刻まれていて、牛肉の上に少し山のように盛られていた。口に入れると、まず酸味が感じられた。
ただ、いきなり観察結果を書け、といってもそれはとても難しいです。
特に食べ物に関しては、味や温度、食感など、じっくり考えるには時間が足りなくなってしまう、という要素も多いです。
なので今回の観察は目標を絞って「味と形」だけを観察する練習をしていきましょう。
たとえば、(またしても)牛丼を例にしてみると、色や形というのはこんなことを「観察」できます。
- 容器の中に白い粒状のごはんが敷き詰められ、その上に茶色の肉が重なっていた。
- 肉は薄く広がっていて、端の部分がやや縮れていた。
- 肉の間には半透明の薄い玉ねぎが混ざっていた。
- 赤い細切りのベニショウガが中央からやや右にかけて乗っており、細く曲がった線の集まりのように見えた。
- 全体は、白、茶、赤、そしてわずかに黄色がかった半透明の層が重なる構成だった。
- 容器の縁に向かって具材の密度が下がり、中央に向かって山のように盛り上がっていた。
観察結果だけを書こうという話をすると、途端に文章を書けなくなってしまう方は多いです。
「自由に書く」のであれば調子良く文章が書けても、観察結果だけを書くと再び「きのうの晩ごはんは牛丼を食べました。おわり」に戻ってしまうのです。
文章を書く際に「事実」と「自分の意見・感想」をきちんとわけて書きましょう、というのは文章術の「基本」です。なにも新しいことではありません。
しかし、基本というのは「誰でも役立つ」「ずっと役立つ」から基本と呼ばれるのです。基本をバカにするのではなく、基本はいつまでもずっと続けていく、という心意気が重要です。
観察とは、外の世界で実際に起きていることを、できるだけ主観を交えずに丁寧に見つめる行為。
文章を書く( =考える)際に、感想を書くのは簡単です。しかし、感想に頼っているだけではあなたの考えは「曖昧で独りよがり」なもので終わってしまいます。
ここから、一歩目線を引いて、俯瞰的な視点で物事を考えられるようにしてくれる方法が観察です。
観察によって得られた事実を出発点とすることで、感情や意見に具体的な根拠が生まれ、伝わる力が大きく高まります。
たとえば「牛丼の牛肉は薄切りで、玉ねぎと一緒に甘辛く煮込まれている」と観察して初めて、「食欲をそそるな」「懐かしい味がしそうだ」といった感想が成り立ちます。この順序を意識することで、自分の感情がどこから生まれてきたのかが明確になってきます。
観察結果をきちんと書くことは、感想を書けなくするのではなく、感想を一段階深いものにするための手段なのです。
さらに言えば、事実と感想を分けることは、単に客観性を保つための技法だけではなく、観察から始まる思考のプロセスを意識化するための枠組みでもあるのです。
こうやって観察を重ねることで「自分は何を見て、どう感じたのか」をはっきりと捉える力も育っていきます。
なんとなく感じた、という曖昧な言葉ではなく、何をきっかけにそう感じたのかをたどれるようになると、自分の視点や考え方の傾向にも気づくことができます。この視点を持つことは、あらゆる思考の質を高める訓練にもなります。
もちろんこうした観察は、誰もがいきなりできることではありません。しかし同時に、訓練によって少しずつ高めていくことが可能なスキルでもあります。
練習しなければできないけれども、練習すればできるようになる。
この考えは忘れないでください。
観察力を磨く練習とは、事実を丁寧に言葉にする練習です。しっかり観察することで、より具体的で多面的な見方ができるようになり、結果として表現は豊かになります。そうやって観察を繰り返すことで、感想に深みが増していきます。
自己啓発やビジネスの文脈で語られる「創造的なアイデア」も、ほとんどは突発的なひらめきではなく、注意深い観察から生まれます。
事実と感想を切り分ける習慣は、物事の本質をとらえる力を育み、そこから独自の発想や視点を引き出す土台となります。つまり、「観察をもとに感想を語る」という姿勢は、文章の説得力を高めるだけでなく、自分の頭で考えるための出発点としても大いに機能するのです。
観察の対象は、今回も「自分が食べたもの」です。(睡眠に対する観察結果は、客観的に記述するのが難しいので、今回は敢えて対象からは外します)
観察対象を食べたものにする理由も、これまでと同じです。人が健康に生きている限り、毎日複数回の食事が発生するからです。
たとえばこれを「今自分が気になることを観察してみましょう」だとか「自分の心身の状態を観察してみましょう」というように、抽象的なものの観察は難易度が高すぎるのです。
どんな練習でも、きちんと目的を持って、回数を重ねていけば必ず上達します。上達の速度に個人差はあるかも知れませんが、練習を続ければ、必ず力がついていきます。
大事なのは「集中すること」と「回数を重ねること」
これを一番実現しやすい対象が「自分が食べたもの」なのです。
上手にできないからやらない、では、いつまでもできません。上手にできないから、練習する。練習をしなければ上手にできるようにはならないのです。
1日5分。毎日できなくても構いません。
食べたものの写真を撮っておいて、それを観察する、という方法でもオーケーです。
昨日よりちょっとだけ丁寧に観察する。
これを意識して、あなたの観察眼をどんどん鍛えていってください。
📖次はこちら→[[食べたものについて観察することは「素振り」のようなものである]]
> [!NOTE] デイリーノートに記録すること
> 「食べたもの」を文章の形式で記録する
> 「色と形」だけに注目して、観察結果だけを書く
> 1日5分「真剣に記録する時間」を作って記録する
> 「前回より丁寧に観察する」ことを目標にする
> 目安:4週間〜
> [!HELP] ヘルプ
> 困った時は→[[Obsidianの基本的な使い方(概要)]]