ここまでの、食べたものの記録から考えを深める、というのは極端な実験であることは否定はしません。 多くの人にとって、先週なにを食べたのかを即座に思いだせることは重要ではなく、人間は重要ではないと思ったことは思いだせはしないのが普通です。 食レポを趣味や職業にしていなければ、牛丼が美味しかったという記録をもっと丁寧に残すことに価値を見出すことは難しいでしょう。 ではこれが、仕事の記録だったならば? 午後に会議をした、という記録が残っているだけでは、1週間後にそれがどんな会議だったのか思い出すことはできません。 もしも1週間後に思い出せたとしても、ほとんどの人は半年後に思い出すことは不可能でしょう。 多くの人が記録に意味や価値を見出せない理由は、実はここにあります。 午後:会議、なんていう記録は、未来のためのリマインダーとしての価値はありますが、記録としての価値はほとんどゼロに等しいものです。 そんな記録を振り返っても、有意義なことは思いだせないのが当たり前です。だから、そんな記録があっても意味がありません。 しかしその会議の記録として、何時から何時まで会議が行われ、誰が参加し、どういう議題の会議で、どんなことが話し合われたのか。最終的にどんな結論が得られたのか。 そうした記録が残っていれば、次回の会議が何時くらいに終るのか?時間を短くできるかもしれないし、逆にもっと時間を確保した方がいいと感じられるかもしれません。 議題と関係ない話題ばかり話しあわれたのであれば、次回はなにか対策がとれるかもしれません。 これらのことは、ビジネスマンとして基本であり、その程度のことは誰でもできるしやっている、と思われる方も多いでしょう。 しかし、会議ではなくあなたが1人で進めた仕事に関しても、同じことが言えるでしょうか?会議の議事録と同じように、何時からどんなことをやって、その結果どんな成果が得られたのか。そんなことがわかる記録は残っているでしょうか? 1日だけでいいので、会議の議事録と同じように記録を残し、帰る前に記録を振り返ってみてください。 自分がやったことをどれだけ忘れているかがよくわかります。 そして、その記録を元にして、自分にはどんな記録が重要なのかを少しずつ考えていくのです。 何もかも、完璧に記録を残すことは、現実的に不可能です。とは言え「会議」という記録だけでも不十分です。 自分自身はどんなことに価値を見出し、どんな記録が残っていれば、それを役立てることができそうか。どんな記録を嬉しいと感じることができるのか。 それを知るためには、結局のところ自分自身で記録を残してみる以外の方法はないのです。