こんな私でも料理ができた
つい1年ほど前まで、私は料理とは無縁の生活を送っていました。
食事は外食またはコンビニ弁当。これが基本です。
私にとって「作る」レベルの料理と言えばこの程度。
- 炊飯器で炊いたご飯
- 納豆
- 冷凍惣菜のおかず
- インスタントの味噌汁
たまに気が向くと、スーパーへ行くこともありました。
でも、野菜なんかは買ったことがない。
大好きな肉類ですら、買うときは、焼くだけで済む「味付き肉」一択。
なぜかといえば、醤油はおろか塩、胡椒すら家に置いていなかったから。
鍋とフライパンはなんとなく常備していましたが、使う機会はめったにありません。
- 味付き肉を焼くとき
- インスタントラーメンを作るとき
この2つだけ。そう、私は典型的な「一人暮らし男子」でした。
ここで、そんな典型的な「一人暮らし男子」の私が作った料理を披露しましょう。
名付けて「鶏の香草焼き(焼くだけ)」です。
おっと。
どうか覚悟を決めてからページをめくってください。
写真をご覧になってどんなご感想をお持ちになったでしょうか?美味しそうな写真が載っているとは限りません
あまりにも「メシマズ(飯が不味い)」な写真で申し訳ありません。
「下味が付いているし、火が通っていれば食べられないことはないだろう?」
仰るとおりです。私も、そう思って口にしました。ところがこの料理、本当に、心の底から不味かったんです。
焦げ臭いくせに、生焼けの部分がある。
だからと言って、これ以上火を通しても、ますます焦げるだけ。
しかし、不味くて食べきれずに残すという行為は、食材に申し訳ない。
そうは言っても、生焼けの鶏肉を食して良いものかどうかさえわからない。
最終的には「電子レンジ」の存在に気がつき、チンして食べたような記憶があるんですが、それでもやはり不味いものは不味いわけです。
「味付け肉なら焼くだけ」と高をくくっていた結果が完敗でした。
自分自身、料理はできないと思っていました。
だけど、ここまでひどいとは、さすがに思っていなかった…。
肉を焦がさずに焼く、そんなこともできないのか…。
もう絶望的じゃないか…。
もう絶対、これからも絶対、料理なんて作らん!
こんな不味いものを食べないといけないのなら、料理なんて願い下げだ!
「自分は料理に向いていない人間なんだ」そう自覚して、軽く絶望しました。
実は、1年もするとそんな苦い記憶も薄らいで、再び気が向いて料理をするんですが、2〜3回に1回は失敗し、その度に、「私は料理なんんかに手を出すべきではないな」なんて思うことを繰り返しているのでした。
結婚を機に変わった生活
私は、大学3年生(工学部)のころから一人暮らしを始めました。
これが私の「料理しない生活」のスタートです。
その後、ブログや本を書いて生活するようになったのですが、学生のときも、仕事を始めてからも、まともな料理を作った記憶がありません。
あえて挙げるなら、友達と集まっての鍋だとか、キャンプのカレー程度。キャンプでも、みんなが作っているのを見ているだけで、ほとんど手を出すことはありませんでした。
そんな「料理しない生活」をずっと続けたまま、2014年2月に結婚。
この結婚がきっかけで、私の「料理しない生活」に転機が訪れたのです。
妻は感覚で料理ができる人
妻は、実家ではほとんど料理を作ったことがない人でした。
でも、なぜか、なんとなくで美味しい料理を作れてしまう人。
料理に関しては本当に天才肌だと言えるような人なのです。
そこで、妻に「料理のコツ」を聞いてみようと思い立ちました。
私「これ美味しいね。どうやって作ったの?」
妻「なんとなく」
私「どのくらい醤油を入れたの?」
妻「たーーー、くらい?」(「たー」という音を伸ばす長さで分量が変わる)
工学部出身で理系の私には、もう微塵も理解できない世界です。
自分のセンスのなさは理解しているつもりでしたが、妻の説明もこれまた理解不能。
そうか…料理はこういう天才肌のセンスがある人が作るべきで、やはり私は向いてないんだな。そんな思いが深まっただけでした。
幸い妻の作る料理は美味しかったので、家で作ったごはんを食べるという習慣だけは定着しました。しかし、妻は料理、私は皿洗い——そんな暗黙のルールができるまでに長い時間はかからなかったのです。
妻の妊娠・つわりで料理をしなければならなくなった
そんな家ごはん生活が安定したと思ったのも束の間。
結婚から2カ月程度で妻の妊娠が発覚しました。
しかも、妻は「つわり」が、ひどかったのです。
ご飯が炊ける匂いを嗅ぐだけで気持ちが悪いという状況になってしまいました。
料理を作る妻が、料理を作れなくなってしまったのです。
「さて、困ったぞ。これからどうしよう?」
たった2カ月程度でしたが、家で作ったご飯の美味しさを知ってしまってからというもの、コンビニ弁当や外食をあまり食べたくなくなってしまった私。
妻も私以上にそうしたものが好きではありません。
さらに、妻は妊娠が分かったタイミングで「切迫流産」で「絶対安静」を言い渡されてしまい、可能な限り私が家事をしなければいけませんでした(このときの子は無事に生まれ、すくすくと育っています)。
一人暮らしはそれなりに慣れていましたので、掃除やら洗濯やらは問題なかったのですが、問題はやっぱり食事。妻の体のことを考えれば、一番確実で安全なのは家ごはんです。
妻は結婚をきっかけに、調理器具や調味料を買い揃えていました。また、妻の状況は「横になっていないといけない」し「ご飯の匂いを嗅ぐと辛い」けれども、口頭で料理について教えることはできました。
それならば、もう私が料理を作るしかないでしょう!
わからないことだらけライフ
いろいろと後付けで理由を考えて、話をドラマチックに仕立て上げてみましたが、要するに最初は「なんとなく」でした。生焼けの香草焼きを作ってしまうような私ですが、1年も料理をしなければ失敗の記憶は薄らぎ、再び「じゃあ、俺がご飯作ってみるよ!」という気分にだけはなれるのです。
とは言え、「香草焼きの肉は弱火で焼く」という発想すら思い浮かばない私にとって、料理は何もかもが異世界の出来事。お嬢様にとって車の運転がそうであるように、料理がなんだか「怖い」存在。
この最初の段階では、とにかく、何もかもが妻頼み。
自分で何を作ればよいのかすら決められなかったのです。
「これ、作ってみたらいいんじゃない?」
こんなふうに、妻にネットで検索したレシピを見せてもらっていたことを覚えています。で、レシピを見せてもらうのですが、そこに書いてある用語や説明を理解できず、そのたびに妻に質問して教えてもらう。その繰り返しでした。
大根の皮むきの仕方がわからず、妻に聞く。
皮をむいたら「いちょう切り」のやり方がわからず、妻に聞く。
レタスの上にスライスしたトマトを載せるという「サラダの作り方」(トマトをどうやって切ればいいのか。どうやって盛り付けるのかなど)がわからず、妻に聞く。
そんなことを繰り返して「料理」をしていました。
こうした違いを乗り越えつつの料理でしたが、質問を繰り返すうちに、妻は「1センチメートル、5ミリリットルという具体的な数値(=パラメーター)を使って説明する」ことに慣れ、私も「具体的に答えやすい質問をする」ことに慣れてきて、少しずつ「料理」を興味の対象として見られるようになっていきました。
この過程で、何よりもありがたかったのは、妻の褒め言葉でした。とりあえず私が作った料理を(本当に美味しいかどうかはさておき)「美味しい」と毎回誉めてくれたのです。
卵がぐちゃぐちゃになったり、盛り付けが下手くそすぎたり、見た目が極めて残念な料理になってしまった場合でも、笑顔で「こうすればいいよ」とコツを教えてくれたおかげで、それを次に生かすことができました。
こんなことを1〜2週間続けただけで、段々と料理というものが「わかる」もので、「楽しい」ものに変わっていったのでした。
この「料理がわかる」までの過程を、なんとか「料理がわからないころの気持ちがわかるうちにまとめなければ」と思ったのがこの本を書くきっかけです。
本書は、こういった「感覚派」の妻から料理を教えてもらう中で、料理センスほぼゼロの私が、「料理」を理解していく過程を記した「料理がわからない人が料理をわかるようになるための本」です。
私自身は、料理を覚えていく中で、大いに回り道をしたと思いますが、わからない人だからこそわかったことがたくさんあると思います。
そういう「できない人だからこその経験」を詰め込んだのが本書です。
3年前の自分がこの本を読んでいたら、もっと早く料理が好きになっていたかもな、なんて思える本を目指して説明します。
料理が「何もできない人」がちょっとでも料理をしてみようと思えたり、ちょっとでも料理が上達するお役に立てれば幸いです。
2015年8月
五藤隆介
っていう本を書きました
人生通算2冊目の単著書籍です。2015年9月1日発売予定です。
そして、この本の「はじめに」に当たる部分が、ここまで書いてきた文章です。
編集者の人からは、ある程度(読みたくなる範囲で)文章公開してもいいよー、って言われているので、発売までに2〜3節分、本の内容をご紹介したいと思います。